気まぐれ日記 02年5月

02年4月の分はここ

5月5日(日)「連休、超特急で去る・・・の風さん」
 おかげさまで、執筆に専念した連休を過ごすことができました。
 昼夜逆転するかと思いましたが、それほどのこともなく、だいたい午前2時から3時までの間に就寝して、起床は9時から10時の間くらいでした。軽いブランチ後、執筆。昼食後、執筆。1日おきに夕方トレーニングへ出かけました。帰ってきてからシャワーを浴びて、夕食前まで執筆。その後、途中1回休憩をはさんで就寝するまで執筆。
 ・・・と、これだけ書くと、さぞかし原稿がはかどったと思うでしょ? あにはからんや(漢字で書いてみなさい)。分からないことが発生するたびにインターネットで検索。すると、分からないことズバリじゃなくて、その周辺がぞろぞろヒットする。それがまた面白くて・・・泥沼。
 ま、予定の6割ほどはできたかも(それでも、全体の半分ね)。これからが大変だ、否、これからもっと大変だ。恐らく一昨年の『算聖伝』のように頭がパニックになるでしょう(もうなってるなってる)。
 でも、この連休中に、霧島那智の新刊『水戸光圀政談 黒鍬者謀殺剣』(双葉社)の解説は脱稿しました。結構大変でした(10冊読むのが)。でも、鳴海風オリジナルの解説が書けました。他の人には書けない内容の解説でしょう。
 今日の記録をひとつ。夕方トレーニングに行きました。連休中は、これで5回目です。多少体がほぐれてきました。でも、首は痛いし、頭はボケているし(関係ないか)、まだまだトレーニング不足です。今日は、ストレッチを15分やってから、ラボード10分、腹筋40回、背筋30回、ラットプルダウン、レッグプレス、ショルダープレス、レッグカール、バーチカルローイング、レッグエクステンション、カーフレイズ、とこなしました。それでも、体重はほぼマックス。体脂肪率はバラツキの範囲内、19.6%でした。
 体育館から帰るとき、車内にガガンボが入ってしまいました。途中で車を止めて、窓を大きく開けて逃がしてやりました。ガガンボ君、恩返しにぼくの原稿完成させてね。
 明日から会社生活も始まります。PTAの仕事もあります。アメニモマケズ、カゼニモマケズ、・・・そんな私はプロらしいプロのもの書きになりたい。
 まだまだ執筆ピンチが続きますので、気まぐれ日記は、当分、週1回程度の更新となります。許してね。

5月9日(木)「ひとり言・・・の風さん」
 連休中のひとこまを思い出した。
 ボケが原因で、今年のGWは10連休だと勝手に思い込んでいた。が、実際は9連休だった。
 それに気付いたのが、ちょうど連休の中日。
 執筆を1日**枚、だから10日で@@枚と計算していた風さんは、大きな誤算に対処しなければならなくなった。何とかして1日稼がなければならない。
 ボケた頭でひらめいた最初のアイデアが、1回余分に睡眠をとったら、起きているのが1回増えて失った(最初からないない)1日を稼げるのではないか、と。しかし、冷静に考えてみると、1回余分に寝た分、起きている時間が減ることにすぐ気付いてボツ。
 次に考えたのが、就寝時間をだんだん後ろへずらしていったら、寝るのが1回減って、1日稼げるのではないか、と。これは一見理に適ったアイデアだと自画自賛したのだが、執筆活動というのはけっこう頭脳にとって重労働で、毎日長時間の緊張は続けられないものなのだ。結局、毎晩似たような時間に眠くなり(このことは既に書いた)、この種々の検討は徒労に終わった。
 昨日の会社での話。
 会社の比較的新しいビルの1階にある応接室を利用した。
 とてもきれいな応接室で、天井も高く、窓が異様に大きい。まるで喫茶店のような豪華な部屋である。応接セットも豪華である。エアコンが効いていて、気持ちいい。疲労気味の風さんは、仕事が始まるまで、ソファに深々と腰掛けて、日差しが差し込む大きな窓に顔を向けた。そこにはレースのかかる長〜いカーテンが垂れ下がっている。その下をふと見たら、セミの抜け殻が落ちていた。
 こんな時期に珍しいと思った風さんは、立ち上がり、近付いてよく見てみた。すると、セミの抜け殻と思ったのは、ひっくり返ったゴキの死骸だった。ゴキが茶羽根ゴキブリであったことは言うまでもない。
 その夜、PTAの会合があり、地元の小学校へ出かけた。何を隠そう、風さんは広報部部長なのである。今年度第1号のPTA会報を出すための編集会議を招集したのだ(そんなことをしていられるほど執筆に余裕があるわけではないが、・・・)。
 早目に終えるため、風さんは前夜、会報全6ページの割付(案)を作成して持参した。
 これを皆に見せたところ、顧問の先生が拍手。
 そう。こういったボランティア活動でも、さらに学校の先生が惜しみない協力をしてくれる。だが、これがけっこう大変で、PTA委員がどれだけがんばるかで、先生の苦労は大きくも小さくもなる。
 それで、いちおうタタキ台を作成していったことに対して、歓迎の拍手をしてくれたわけだ。
 タタキ台は、すぐに承認され、あとは実務作業に入った。中身の検討と原稿依頼状の作成、封筒の宛名書きなど。しかし、これらの作業もけっこう大変で、終わったのは9時をだいぶ回った時間だった。
 実は、この日は、5時間も運転をしたので、帰宅してからの執筆はあまりはかどらなかった。
 そして、9日に帰宅したら、先日送付した解説原稿のゲラと編集者からの修正依頼が来ていた。原稿を修正してファックスと電子メールで送り終わって、今こうして、気まぐれ日記を書いているのは、10日(金)の午前4時である。

5月12日(日)「やっと始まったのかもしれない・・・の風さん」
 GWもすべてつぎ込んで書き続けている新作。来週、編集長と打ち合わせるので、明日の午前中までに原稿を送る約束をしていた。少しは進めておかなければならなかった。
 とにかく詳細はとても書けないけれど、勉強が必要な時代を選んでしまったため、原稿は遅々として進まなかった。
 準備を開始したのは『算聖伝』が出版されてだから、一昨年の初冬ということになる。主人公については、多少調べてあったので、周辺を固める必要があった。また、周辺を調べていれば、全体の時代背景もはっきりしてくると思った。舞台は幕末である。
 
先ず、Oという偉大な人物の研究から着手した。早世した新鷹会の先輩から「この人物は鳴海でなければ書けない。お前が必ず書け」と遺言された人物である。昨年の春先までかかってひと通りのことがつかめた。続いて、Mという人物の研究を始めた。これについては、参考資料が少なくて、意外と早くつかめた気がした。
 そうして、昨年の夏にかけて、あちこち取材も実行しながら、全体シナリオを固め始めたのだが、時代背景を十分につかめていなかったので、調査項目が山のように残っていることがじきに判明した。
 夏から秋にかけて『和算忠臣蔵』に専念したことは、読者はよくご存知のはずである。
 そして、再び新作に着手したのだが、ここで思わぬ伏兵が現れた。ボケである。今年、『日輪の神女』の著者、篠崎紘一さんから、現代の男は50歳直前で厄年に遭遇する、と言われた。まさに自分がそれに向かっていることを実感する出来事だった。とにかく肉体的な衰えに加えて、知的能力の減少は、明らかに変曲点を示した(タンジェントが変化した、あるいは2階微分係数が負)。
 ハード面(肉体面)はトレーニングに励んで、その能力低下の勾配を鈍化させるぐらいしかない。ソフト面(知性面)は、これまで以上にパソコンや資料などに頼るしかない状態となった。
 日頃ワイフに「ぼくはボケと格闘している」と打ち明けることが増えた。
 10日(金)の夜は早めに就寝して、1週間の疲労を癒しておいて、昨日は7時半起床。昼に小一時間ほど仮眠したが、そのままぶっ通しで執筆に励んだ。今朝は、7時15分からPTAの関係で遊園地清掃に外出したものの(団地内ではウグイスがけなげに鳴き方の練習をしていた)、帰宅して再び執筆。印刷が終了したのは10時過ぎだった。約束は「第1稿提出」だったが、無理だった。全体構想の3分の1が、ようやくこの「第1稿提出」レベルで、残り3分の2は覚書レベルである。今日印刷した原稿枚数は約350枚で、想定完成枚数700枚の半分である。
 そのまま宅配便を出しに行き、帰宅して2時間ほどダウンしていた。
 目覚めたとき、これでやっと始まったのかもしれない、と思った。体の中に新たな力が湧いてきた。
 1週間でまた体が硬直化してきたので、トレーニングに行ってきた。約1時間、体をほぐして、血圧正常(というか薬でコントロールされている)、肥満度−0.1%で、体脂肪率はバラツキ内の19.8%だった。

5月16日(木)「今だけの雑用週間・・・の風さん」
 とりあえず原稿を出してしまったので、月曜日は週末の上京のための切符購入とそろそろなくなりそうなコピー機のトナーカートリッジを購入した(定価は18000円です、はい)。火曜日は、愛知県図書館へ借りている本の継続処理に行ってきた。水曜日は、頚椎に問題があって通っている整形外科へ行き、薬をもらってきた。そして、帰宅したら、なんとぼくのPS2が壊れていた。最近、次女が遊んでいたのだが、突然画面が出なくなってしまったのだ。それで、私が調べてみると、確かに壊れていた。むろん、保証期間は過ぎている。ガーン! 木曜日に、公衆電話を使って、PS2のサポートセンターへ電話して修理を依頼したのだが、「ナビダイヤル」とかで、8秒ごとに10円かかった。結局、電話代として1000円以上使ってしまった。会社の帰りに床屋に寄ってきた。これで、かなりの雑用が終わった。
 あと、銀座の女の子のために、深夜、MDの録音をしていたことは秘密にしておこう。

5月17日(金)「誘惑にもマケズ・・・の風さん」
 雨の中、新幹線で上京した(昼食は新幹線の中でおにぎり2個、ひもじい〜)。午後、出版社と打ち合わせた。まだ先は長いが、こういう形で打ち合わせてくれるので、とても助かるしありがたい。これから1ヶ月がんばって、また来月打ち合わせる約束をした。
 ホテルにチェックインした後、パレスホテルで行われる冒険作家クラブのパーティへ向かった。地下鉄で1回乗り換えただけで予想外に早く着いた。時間があったので、1階の喫茶室でカモミールティーを飲んでいたら、鈴木輝一郎さんが現れてちょっと雑談。直後、二つの事件が起きた。
 一つは、ポケットの中にあったハズの、地下鉄のメトロカードが消えていることに気付いたこと。
 あっちのポケット、こっちのポケットと探しているうちに、ケータイにメールが入った。ワイフからで、これが二つ目の事件だった。何と、今日の昼間、隣家に空き巣が入り、窓を割って侵入した挙句、金目のものをごっそり奪っていったという。その時間帯、うちも留守にしていたのだが、たまたま私が上京していたので、私のコルサが車庫にあった。それで留守だとは思われず災難を逃れることができた(というのがワイフの推理)。
 さあ、話は混乱するぞ。
 先ず、パニックになった私の頭は、それでも、同時並行で、二つの事件に対処した。
 一つ目の事件。あれこれと連想ゲームをしているうちに、思い出すことがあった。それは、ホテルに着いたとき、ポケットの中の紙くずをまとめてゴミ箱へ捨てたことだ。もしかすると、その中にメトロカードが紛れていたのではないか。さっそく、ロビーへ向かい、自分であさるのはどう考えても不審者の行動になるので、ボーイさんに説明して、ゴミ箱をあさってもらった。これが正解で、親切なボーイさんは、真剣にゴミ箱をあさってくれて、メトロカードが出てきたのである。一件落着! (追記:残額は440円でした)
 二つ目の事件については、すぐに公衆電話から自宅へ電話して、状況を聞き、とにかく今夜は戸締りをしっかりして寝るように伝えた。(数年前、私が地元で車上荒らしに遭ったときの経験から、地元の警察は頼りにならない、つまり事件が起きたからといって警らしてくるほど気が回らない)
 話が長くなった。
 パーティの楽しみのひとつはビンゴゲームである。参加料1000円でカードを手に入れた。今回は、なかなか穴があかず、不調なままゲームは進行していった。それでも、運のいい人は徹底的にいいもので、ひとりで二つも三つもビンゴする人がいるから(何枚もカードを買っているのね)、こっちは妬みたくもなる。デジカメもPS2もお仕立券付きのワイシャツもどんどん奪われていき、最後の1本になってしまった。横にいる某銀座の女の子と二人でカードを見せ合うと、どちらもB列の10番が出るとビンゴになる状態だった。「一緒になったらジャンケンで、やだね」と心にもないことを言って、肩をつつきあっていたら、な、なんと「Bの10番!」の声。ぎゃおーん、ビンゴじゃ。二人で手に手をとって・・・じゃなくって、前へ行ったら、どこかの銀座のママさんもビンゴで(参加者よりも銀座の方々が多かった?)、3人でジャンケンとなった。・・・ええい。負けましたよ、ジャンケンで。ふん! 結局、隣の銀座の女の子が勝利しました。あと、このパーティで大林憲司さんというファミ通文庫で活躍している小説家の人と知り合った。
 ・・・で、パーティ終了後、中里融司さんとその銀座の女の子とママさんと4人で銀座へタクシーで向かった。中里さんは完全に銀座組に拉致された格好で、私もずいぶん強く誘われたのだけど、最後は、店の前で「じゃ、またね」と冷たく・・・というか、必死に誘惑に打ち勝って別れた。もしビンゴで買っていたら、こうは行かなかったろう(冷汗)。
 風さんは、予定通り、貴族へ直行し、ママさんをはじめ、みんなに義理を果たし、その夜は安心して寝た。

5月18日(土)「こんな天候で山登りする物好きは・・・の風さん」
 1時間寝坊した朝はまだ雨がポツポツ降っていた。シャワーを浴びて、昨日買っておいた朝食用のパンとコーヒーを食べて、あわただしくチェックアウト。東京駅へ向かい、そこでナビ付きのレンタカーを借りた。小さくて安いやつ、という指定に対しての応えは、N社のサニーだった(あ、これじゃN社なんていってる意味ないか)。ナビは初めてのタイプだったが、すぐに操作できた(こういうのがすぐできるというのは、いくつかのナビを扱っているのと、日頃からパソコンに親しんでいるせいかもしれない)。とにかく、夕べメトロカード紛失でボケ症状を露呈した風さんだったが、また少し自信が出てきた。(なお、このナビ、VICS連動で、首都高速の渋滞をちゃんとメッセージしたぞ)
 出発進行。すぐに首都高速にのり、常磐自動車道を経由して、水戸の茨城県立歴史館へ着いた。ここで、笠間藩士の系譜を閲覧する予定だったのだが、あいにく史料整理中とかで、常設展示室しか見学できなかった。また、来なければならない。そこを30分で切り上げて、国道50号線を通って笠間市へ向かった。最初に笠間城跡へ。笠間城は典型的な山城で、佐白山(182m)というところにある。ふもとに車を置いて、自分の足で登ったのだが、死ぬほどつらかった。なんたって、階段になっているところをずんずん登ったのだからね。30分ぐらいかかった。頂上付近は霧がかかっていて、吐く息が白いほど気温も低かった。上はTシャツ一枚でも、汗がだらだら。頂上から入院中の上司にケータイメールを送った。
 その山を下って、笠間稲荷神社へ行った。もう残り時間がないので、ざーっと見学して、お守りと土産物を買っておしまい。昼飯用に、コンビニでまたパンとコーヒーを買って、食べながら帰京した。パワーのないサニーなので、時速120キロが精一杯だった。約250kmのドライブを終えて、東京駅まで戻った。田舎の取材はレンタカーに限る。
 少し時間があったので、八重洲ブックセンターで参考図書を買い、それから新幹線用の改札口へ。売店で生ビールを飲んだら、どっと疲労が襲ってきた。そりゃそうだろ。山登りしたんだから。新幹線の中で爆睡。

5月22日(水)「X羽根募金なんて・・・の風さん」
 出社時、門付近で緑の羽根募金をやっていた。ゲートを過ぎてそこを避けては会社内に入れないポイントを組合がおさえていた。もう性質の良くない罠としか言えない。
 以前にも書いたことがあるような気がするが、定例行事化した募金活動を私は嫌悪する。こういったたぐいの募金活動は、会社で、学校で、町内会で、そして街頭でも展開される。さらに、募金活動をしている人たちは、胸の羽根の有無でターゲットをしぼろうとする。かつて、仙台で学生だったころ、街頭で、こっちの顔も見ずに、胸に羽根がないのを狙って近寄ってくるものだから、「押し売りみたいなことするな!」と怒鳴って、100円硬貨を投げつけたことがある。大人気ない話だが、本質的に風さんは短気な面がある(ただしドラッグは必要としない)。
 入社して何年目かに長崎で水害があった。組合は、定例行事の募金はするくせに、突発的な災害に対して臨機応変な募金活動を展開しなかった。その後、改善されたと思うが、不信感が残っている。
 今朝も、募金はしたが、羽根は受け取らなかった。X羽根募金には反対である。

5月23日(木)「年間2万キロ・・・の風さん」
 親父のコルサを引き取ってほぼ1年半。積算距離計が5万キロになった。親父が7年乗った時点で、走行距離は2万キロだったから、それから3万キロ走ったことになる。1年に2万キロのペースだ。ファミリーユースのワゴン車を運転していたときは年間2万5千キロだったから、多少年間の走行距離は減っているのだろう。学生時代に免許を取得してから間違いなく40万キロは走破している。我ながら運転が好きだな、と思う。60過ぎて免許を取得した親父は85で運転をやめた。自分も85まで運転するとすれば、はたして生涯走行距離はどれくらいになるのだろう。単純に計算してみても100万キロには届きそうもないか。
 うーん。しかし、走行距離を伸ばすより原稿用紙の枚数を伸ばすことの方が大事だった。やれやれ。

5月26日(日)「鳴海風茶道に目覚めるの巻」
 ほとんど強制ではあるが、高一の長女とのスキンシップを増やすため、一緒に茶道をやることにした。二人とも初めてである。知人の紹介で比較的近くのお寺の住職さんのもとへ、昨日午後出かけた。気持ちの良い青空で、アウトドアスポーツなんかには最高の日和だったが、私たち父娘はお点前の修行である。
「正座なんてしたことない。お抹茶なんか飲めない。線香の匂いも嫌い」などと言っている長女にしてみれば、チョーむかつく親の命令であろう。しかし、天地神明に誓って、親としての愛情から思いついた行動である。信念のなせる業である。
 表通りから一本奥へ入ったところにお寺はあった。こじんまりしたお寺である。かなり詳細の地図には載っていないお寺だが、私のカーナビには表示されていた。
 住職は尼僧で、庭に花がたくさん咲いていた。
 正式な入門は来月からということで、この日は見学である。4人ほどのお弟子さんが、それぞれ主人になったり客になったりしながら、作法を学んでいる。同時並行で華道教室も開いている。
 10畳の茶室は、炉が切れるような畳になっている。「冬は炉の暖かさで客をもてなしますが、暖かくなってくると、こうして土風炉を使ってお茶を点てます」季節に合わせて道具を変えながら学べるのは、本格的でうれしい。時代小説家としては、大いに学ばねばならない。ふだんシャキッとしていない私は無理して正座を続け、正座の作法も教えてもらった。長女はお茶をいただいた後すぐ「膝を崩してもいいですよ」という言葉に甘えて横座りにした(こらこら)。
 ここの流派は久田流とのことである。初めて聞く流派だった。帰宅してからインターネットで調べたが、茶道の流派は恐ろしく多数に分化している。ここ尾張地方(知多半島も尾張徳川家の領地である)では、久田流が盛んらしい。先生いわく、「千利休の妹が嫁ぐときに、利休から女点前を習って行き、それが久田流になりました」とのこと。「女点前を私のような男が学んでもいいのでしょうか」「はい。久田流にも男点前はございます」
 先輩の点前を眺めているうちに、男の色気が漂うような様式美を身にまとうのを目標に、いっちょ真剣に学んでみる気になった。冬になったら和服で来ようかな。へへへ。
 午後、この茶道体験でかなりの時間を費やしてしまったので、徹夜態勢で臨んだが、頭が回らず、パソコンをいじっているうちに午前4時、諦めて寝た。
 そして、今朝は10時前に起床。
 朝食は、小六の次女が「それ、黴(かび)ているわよ」と言って、中二の長男が敬遠したトーストを焼いて食べた。
 結局、史料の理解に恐ろしく時間をかけて、執筆に入れない。私の小説の書き方は、その時代の背景や、実在の人物の立場・行動を十分に理解した上で創作にとりかかる、というやり方だ。そして、史料にある通りには書かない。その時代を理解している登場人物が、事件に対してどういう意見や考え方をしているか、というところから創作が始まるのである。読者に時代背景を理解してもらうためには、歴史読み物と誤解されないように、さらに細心の注意を払う。創作はドラマチックでフィクションが多いほど面白い。しかし、基本は登場人物の人間そのものである。読者とできる限り等身大に描く。どんな偉大な人物であっても、喜怒哀楽、生活感覚、私たちと共有できるものは多い。
 夕方、トレーニングに行ってきた。先週は、茨城県笠間市佐白山に登った疲れで、トレーニングをさぼったので、2週間ぶりである。昨日、1食抜いたおかげで体重はやや軽め。血圧異常なし。体脂肪率20.3%。バラツキの範囲内である。
 今夜も長女の宿題を見てやろうと思う。

5月28(火)「むむ。時間がない・・・の風さん」
 昨夜は上司の代理で夜の会食に出席したので帰宅が遅くなり、おまけにビールやらワインやら酒やらが残っていて、もうとても執筆などできる状態ではなかった。それでも長女の勉強だけは見なければ、と思っていたのだが、たまたま中間試験の結果がいくつか戻ってきて予想以上に良かったため、その話で盛り上がった。要はいろいろな形でスキンシップできればいいわけで、勉強を見るのも中止した。
 今夜もPTAの部会があった。私は部会の長なので、私が召集して作業をしたのである。
 何とか1時間ほどで終了し、帰宅してから、長女と英単語を覚えるゲームをした。一昨日、某ホームページから30分もかけてダウンロードしたフリーウェアソフトである。ちょっと難しいゲームだったが、長女は楽しんでくれた。こうして長女とのスキンシップを深めていくしかない。
 そんなことをしているから、執筆の時間はどんどんなくなる・・・が、家庭の方が大事。

5月30日(木)「空振り・・・の風さん」
 昨夜も長女と英単語ゲームをやろうと、長女の頃合いを見計らって部屋を訪れたら、爆睡していた。
 今夜は、絶対に逃すものか、と間髪を容れずに襲撃した。「眠い眠い」を連発しようが、とにかく「さあ、今夜もゲームやって段位を上げよう」と誘った。明らかにゲームは難度が増していて、難度も鍛錬モードで練習しなければならなかった。結局、3回目の挑戦で段位がひとつ上がった。3回目も落第していたら、段位が上がるどころか、ひとつ落ちるところだった。頑張ったのである。・・・が、「眠い眠い」の声を撒き散らしながら、長女は部屋へ消えた。
 中2の長男と腕相撲をしてみた。部活は軟式野球で、毎週土曜日には親の命令で剣道をやらせている。少しは力が出るようになったかチェックしてみた。身長がかなり親に肉薄してきたので、腕を合わせると、様になっている。少し興奮した。せえ〜の、で力を出させてみると、確かに小学校のときより力はついている(当たり前か)。しかし、所詮、親父の敵ではない。お前の親父は中2の頃から腕相撲に凝っていて、高校時代は、勉強ができないものだから、腕相撲でストレスを発散していたのだよ。はっはっは。
 執筆はますますピンチである。胃の精密検査を受けるためには、往復の移動時間も含めて5時間は覚悟しなければならない。今の私にとって、命より5時間の方が大事だ。

5月31日(金)「気が変わった風さんの巻」
 帰りに整形外科に寄って、薬をもらってきた。まだ薬は残っているが、頚椎のトラブルで執筆に障害が出てはいけないので、補充しておいたのだ。これで、夏まで執筆に専念できるだろう。
 あと、問題の胃の精密検査だが、昨夜ワイフと話し、今日は長女とも話し、とりあえず受けておくことにした。執筆にとっては、手痛い時間の消費となってしまうが、今後の頑張りを加速させるためにも(つまり無理に無理を重ねるためにも)・・・と言いつつ、やはり家族の心配を無視するわけにはいかない風さん、ということだ。
 結果を公表できるのは、明日以降である。

 気まぐれ日記 02年6月へつづく